はじめに
日本では少子高齢化が急速に進んでおり、総務省統計局の調査によれば、65歳以上の人口は全体の約3割を占めるまでになっています。また、厚生労働省のデータでは、単身高齢者世帯の割合も増加を続けており、今後ますます「自分の死後をどう備えるか」という課題が多くの人にとって現実的な問題となっています。
こうした背景から注目されているのが「相続」や「遺言」に関する準備です。実際に、相続をめぐるトラブルは決して珍しいことではありません。裁判所の統計(令和2年度司法統計)によると、遺産分割事件のうち約35%が相続財産1,000万円以下のケースで発生しており、財産の多寡にかかわらず紛争が起きやすいことがわかります。つまり、誰にとっても相続の備えは身近なテーマといえるのです。
遺言を残しておくことは、自分の意思を明確に伝え、相続人同士の争いを避けるために非常に有効な手段です。しかしながら、遺言があればすべて安心というわけではなく、実際にその内容をどのように実現するかという課題も残ります。
本記事では、相続や遺言に関連する「遺言執行」という仕組みについて詳しく解説していきます。これから遺言を作成しようと考えている方や、相続の準備をより確実に整えたいと考えている方にとって、本記事が理解を深める一助となれば幸いです。
「遺言執行」とは
遺言執行とは、被相続人が遺言で残した内容を実現するための具体的な手続きのことを指します。遺言は、財産の分割に関して本人の意思を示す文書ですが、その内容を法的に有効な形で執行するには、遺言執行者が必要になる場合があります。
ここでは、遺言執行者になれる人や、必要となるケースとそうでないケース、さらに遺言執行者が具体的にどのような役割を担うのかを整理して解説します。
誰が遺言執行者になる?
遺言執行者は、遺言によって自由に指定することが可能です。相続人の中から選ぶこともできますし、親族以外の第三者を指定することもできます。専門的な知識や公平性を重視する場合には、行政書士や司法書士、弁護士などの専門家を遺言執行者に選ぶケースも増えています。もし遺言で指定されていない場合や、指定された遺言執行者が辞退した場合には、家庭裁判所に申し立てを行い、裁判所が遺言執行者を選任します。
逆に、遺言執行者になれない、あるいはふさわしくない例もあります。例えば、未成年者や成年被後見人など法律上行為能力が制限されている人は執行者になれません。また、相続人の中でも利害関係が強すぎて中立性を欠く人や、健康上の理由から継続的に職務を果たすことが困難な人も、適任とはいえないでしょう。
遺言執行者が必要なケースと必要ないケースとは?
遺言の内容によっては、必ず遺言執行者が必要になる場合があります。代表的なのが遺言による非嫡出子の認知と相続人の廃除(および廃除の取消し)です。
遺言による非嫡出子の認知とは、結婚していない男女の間に生まれた子を、男性が自分の子として法的に認める手続きを遺言によって行うものです。遺言によって認知を行うケースでは、生前に様々な事情で認知を行うことができなかった場合などが想定されます。遺言書に当該の非嫡出子を子として認知する旨を明記しておけば、遺言執行者が市区町村に認知の届出を行うことで親子関係が確定し、その子は相続人としての地位を取得します(戸籍にも反映されます)。この場合、遺言に書いただけでは子の認知は完了せず、届出を実務的に行う遺言執行者が必要です。
相続人の廃除は、被相続人に対し虐待・重大な侮辱・著しい非行(扶養義務の著しい不履行など)があった相続人の相続権を外す手続です。遺言に廃除の意思を書くだけでは効力は確定せず、遺言執行者が家庭裁判所に申し立て、裁判所の審判で認められて初めて効力が生じます。逆に、生前に和解等で廃除を取り消したい旨を遺言に残す廃除の取消しも同様で、遺言執行者が裁判所に申し立てて手続きを進めます。
一方で、単純に財産の分配を指定するだけの遺言の場合には、相続人同士で協力すれば遺言執行者がいなくても手続きを進められます。ただし、相続人同士の利害が対立する可能性がある場合には、遺言執行者を置いておいた方がスムーズに手続きが進むため、任意で指定することも有効です。
遺言執行者は何をする?
遺言執行者の役割は、先述の「非嫡出子の認知」や「相続人の廃除」だけでなく、遺言に書かれた内容を実現するために必要な手続きを幅広く担うことです。遺言執行者は、遺言の執行に必要な行為について包括的な権限を持ち、その範囲内では相続人の同意がなくても単独で手続きを進められます(相続人はその範囲の行為に干渉できません)。
まず、相続開始後には相続人や相続財産の調査を行い、誰が相続人なのか、どの財産が対象になるのかを明確にします。その上で、不動産や預貯金、有価証券などの遺産の分配手続きを進めます。具体的には、不動産の登記移転や売却、銀行預金の払い出し、株式や有価証券の名義変更などが含まれます。さらに、借金や未払い金を不動産等を売却した代価で支払うよう遺言で指示されている場合には、負債の弁済も行います。
また、相続財産の不動産に第三者や相続人に含まれる人物が無断で居住しているなどのケースでは、遺言執行者が代理人として不法占有者に明け渡しを請求することも可能です。他にも、「遺贈」と言う法定相続人以外の特定の人に財産を渡すことが遺言で定められていた場合には、受贈者(=遺贈を受ける人)への遺産の引き渡しも行います。
「遺言執行」について知っておきたい知識
ここでは、遺言執行者が指定されていない場合や不在の場合の対応、解任や辞任の可否、さらに報酬に関する基本的な考え方について解説します。
遺言執行者が指定されていない場合はどうする?
遺言で遺言執行者が指定されていない場合には、相続人全員が共同で手続きを進めることが原則となります。しかし、遺言の内容によっては相続人間で意見が一致せず、手続きが滞ることも少なくありません。
そのため、必要に応じて相続人やその他の利害関係人(被相続人の債権者、遺贈を受ける者など)が家庭裁判所に申し立てを行い、裁判所が遺言執行者を選任することが可能です。特に、認知や廃除といった遺言執行者が不可欠なケースにもかかわらず執行者が指定されていない場合には、裁判所による選任が必須となります。
遺言執行者が死亡・行方不明などでいない場合はどうする?
遺言で指定された執行者がすでに死亡していたり、行方不明になっていたりすることもあります。このような場合には、相続人やその他の利害関係人(被相続人の債権者、遺贈を受ける者など)が家庭裁判所に申し立てを行い、別の遺言執行者を選任してもらう必要があります。遺言に複数の執行者が指定されているときは、残っている者がそのまま職務を行いますが、全員が不在になった場合は新たな選任が必要となります。
また、このような不測の事態に備えて、遺言書の中で「遺言執行者を決定する人」を指名しておく方法もあります。その指名された人が遺言執行者を選任することで、家庭裁判所に申し立てを行わなくてもスムーズに新しい遺言執行者を決めることができます。
遺言執行者を解任・辞任することはできる?
遺言執行者が適切に職務を行わない場合や、相続人に不利益を及ぼす恐れがある場合には、利害関係人(相続人など)が家庭裁判所に申し立てを行い、裁判所に認められれば解任することが可能です。
また、遺言執行者に指名された人は、特別な理由がなくても辞退することができます。ただし、一度承諾してしまった執行者の役割をやむを得ず辞任する場合は、家庭裁判所に申し立てをして認められる必要があります。家庭裁判所が辞任を認める理由としては、健康上の理由や海外転勤、多忙な役職への就任などが考えられます。単に「大変だからやめたい」といった理由では認められない可能性が高いため、承諾する前に立ち止まって考えてみることも大切です。
なお、2019年の法改正によって、遺言執行者が第三者に任務を代理してもらう権利(=復任権)が認められるようになりました。これにより、遺言執行者は全ての手続きを自分自身で行う必要がなくなり、必要に応じて行政書士や司法書士、弁護士などの専門家に手続きを代理してもらうことが可能になります。「執行者の役割を承諾してしまったものの、専門的な手続きが多くて手に負えない」とお悩みの方は、専門家へ相談してみるのが良いでしょう。
遺言執行者は報酬を受け取ることができる?
遺言執行者は、遺言に報酬に関する定めがある場合には、その金額を受け取ることができます。定めがない場合でも、相続人全員と遺言執行者が合意して報酬額を決定することも考えられます。遺言書に記載がなく、さらに相続人との間で合意が成立しなかった場合には、家庭裁判所に申し立てを行い、家庭裁判所に報酬額を決定してもらうことも可能です。なお、実際の現場では、相続人の中から執行者を選んだ場合は無報酬で行うケースも多いです。
相続発生から相続完了までの流れ
相続手続きは、遺言の有無や遺言執行者の指定状況によって大きく流れが異なります。ここでは被相続人の死亡を起点として、3つのパターンごとに時系列で説明します。
① 遺言書があって、遺言執行者が指定されているケース
被相続人が亡くなると、まず遺言書の存在を確認します。自筆証書遺言や秘密証書遺言が見つかった場合は、家庭裁判所に提出して「検認」を受けます(公正証書遺言の場合は不要)。その後、遺言執行者が就任し、相続人や財産の調査を行って相続関係一覧図や相続財産目録を作成します。
続いて、遺言の内容に従い、不動産の登記移転、預貯金の解約・払い戻し、有価証券の名義変更、債務の清算などを順に進めます。最終的に、各相続人への財産の引渡しを完了し、相続手続きが終了します。遺言執行者が権限をもって手続きを進めることができるため、相続人の合意をその都度取り付ける必要がなく、スムーズに完了できるのが特徴です。
② 遺言書があって、遺言執行者が指定されていないケース
被相続人が亡くなった後、まず遺言書の有無を確認し、検認手続きを経て内容を確定します。その後、相続人全員が協力して遺言の内容を実現していくことになります。
遺言に「認知」や「相続人の廃除」といった、遺言執行者が不可欠な内容が含まれている場合には、利害関係人が家庭裁判所に申し立て、遺言執行者を選任してもらう必要があります。また、遺贈を行う場合や相続人間の調整が難しい場合にも、家庭裁判所に遺言執行者を選任してもらうことで、手続きを円滑に進められるケースがあります。
遺言執行者を選任しない場合には、相続人同士で不動産の登記移転や預貯金の解約などを共同で進めていくのが一般的です。最終的に、遺言で定められた配分が実現すれば相続手続きが完了します。ただし、相続人の意見が一致しないと、手続きが停滞するリスクがあります。
③ 遺言書がないケース
被相続人が亡くなった後、まずは相続人間で連絡・手続きの窓口となる担当者を決め、法定相続人の調査・確定を行います。続いて、相続財産を把握し、相続人全員で遺産分割協議を行います。協議が整えば遺産分割協議書を作成し、それに基づいて不動産の名義変更、預貯金の解約・払戻し、負債の承継などを順に進めていきます。
相続人全員の合意が得られない場合には、家庭裁判所に遺産分割調停や審判を申し立て、裁判所の関与のもとで解決を図ります。すべての手続きが終わった時点で、相続は完了します。遺言がないケースでは特に相続人同士の対立が起こりやすいため、協議がまとまらない場合には弁護士の介入も視野に入れましょう。
「遺言執行」にかかる費用
遺言執行に関する費用は、大きく分けて「法定費用」と「専門家に依頼する際の費用」に分類されます。ここでは、それぞれの概要について解説します。
法定費用など
遺言執行そのものに高額な法定費用がかかるわけではありませんが、手続きの中で必要となる公的な費用があります。
代表的なものとして、遺言書の検認にかかる手数料や、相続人・相続財産の調査、不動産の相続のために以下のような費用がかかります。財産の規模や相続人の数などによっても変わりますが、これらを合計すると数千~数万円程度の実費負担が生じるのが一般的です。
- 家庭裁判所の検認手続費用(自筆証書遺言・秘密証書遺言の場合)
申立手数料(収入印紙代):800円
郵便切手代:数百~数千円(管轄の裁判所により異なる) - 不動産登記事項証明書の取得費用:600円/1通
- 戸籍謄本(除籍謄本・改製原戸籍)の取得費用:450円/1通
- 住民票・印鑑証明書の取得費用:300円程度/1通(自治体により異なる)
- 金融機関の残高証明書の取得費用:数百~数千円/1通(金融機関により異なる)
- 不動産の名義変更に伴う登録免許税:固定資産評価額の0.4%(相続による所有権移転登記の場合)
遺言執行を専門家に依頼する場合の費用
遺言執行者を弁護士や行政書士、司法書士などの専門職に依頼する場合には、別途報酬が必要です。報酬額は法律で一律に定められているわけではなく、財産の規模や業務の難易度などによって異なります。
一般的には、基本料金に相続財産の総額に対して一定割合(例えば0.2~3%程度)を加算する報酬体系や、数十万円から始まる定額方式が採用されることが多いです。ただし、不動産の数が多い、金融資産が多岐にわたる、相続人間の調整が必要といった場合には追加費用が発生するケースもあります。依頼前に見積もりを取り、業務範囲や報酬額、実費の取り扱いについて明確にしておくことが重要です。
まとめ
遺言執行は、遺言者の意思を確実に実現するための重要な制度です。遺言書を残すこと自体は誰でもできますが、実際にその内容を具体的な手続きに落とし込むには、遺言執行者の存在が不可欠な場合があります。とくに非嫡出子の認知や相続人の廃除など、法律上必ず遺言執行者が必要なケースでは、遺言書作成の段階から執行者を指定しておくことが望ましいでしょう。
本記事で紹介した情報が、自分や家族にとって最適な準備を考えるきっかけになれば幸いです。必要に応じて行政書士などの専門家に相談し、事前に疑問点や不安を解消しておくことも有効です。
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特定行政書士として、幅広い業界における法務支援やビジネスサポートに従事するとともに、業務指導者としても精力的に活動。企業法務や許認可手続きに関する専門知識を有し、ビジネスの実務面での支援を中心に展開しています。(登録番号:03312913)